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2011年08月31日

太閤一里塚考

太閤一里塚考

NHKの朝の連続ドラマ「お日様」で安曇野の双体道祖神が、よくでていますね。
そこで、唐津にある道祖神を紹介します。

太閤一里塚考

石碑には

「豊臣秀吉は朝鮮出兵にあたり肥前国名護屋城を前進基地とし、自らここへ来て指揮を執った。
そして、大阪との連絡のために名護屋城大手門を起点にして一里ごとに早飛脚二名を駐在させ、六日間で連絡を取った。
この地は、起点から三番目の一里塚にあたる。
江戸時代には、ここは唐津と名護屋を結ぶ名護屋街道となり、旅の安全を念ずる庚申塚が建てられた。
この塚は男女のシンボルをその御神体としており、それを再現したもの」

と紹介されています。

この記述に異論があります。
名護屋街道の一里塚で、単純に旅の安全を祈願するなら庚申塚ではなく、道祖神なのでは?

そもそも庚申塚とは道教から派生したもので、石碑建立の目的が違います。
当時その周辺には民家はなかったと思われることも庚申塚ではない理由と考えます。

他に、庚申塚があるのかもしれません。辻に建てられているので、道祖神と庚申塚が混同している気がします。
(専門家の意見を聞きたいものです。)




Posted by あわ美くん at 00:58│Comments(2)
この記事へのコメント
唐津に半年ほど住んでましたが、
存在すら知りませんでした・・・
Posted by ロール発射 at 2011年08月31日 13:22
県道340号線(広域農道)にあります.
介護老人施設セントポーリアを約500m北上する(呼子方面)と、左側にあります。「とまと」という食堂が目印です。
機会があれば訪れてください。
Posted by あわ美くん at 2011年09月02日 17:57
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