唐津の豪商のお雛様
実に見事なお雛様ですね。「唐津のひいな遊び」のうちの1カ所、魚屋町の東の木屋に飾られている御殿雛です。
この時期になると、各地で雛祭りのイベントが開かれるようになりました。唐津でも開催されていますが、余所のお雛様とどこが違うの?という単純な疑問から調べると、実に興味深いことがわかりました。
唐津の銘菓といえば、大原松露饅頭。この饅頭の箱に描かれている「唐津神祭行列図」は唐津にゆかりのある人なら誰もが見たことのある絵だと思います。この絵は、明治16年唐津の豪商、西の木屋(きや)8代目山内小兵衛均安蔵六が絵師冨野淇園(きえん)に描かせた7枚の襖絵だそうです。
そもそも木屋とは何ぞや・・ということになりますが、江戸時代の豪商で、博多三傑(島井宗室、神屋宗湛、大賀宗九)に並ぶほどの豪商だったそうです。木屋のルーツをたどると、秀吉の命により名護屋城築城の際に、木屋山内利右衛門が材木積運船の船頭として泉州堺から唐津にやって来ました。
上の写真は長崎西坂の丘に建つ日本26聖人殉教記念碑です。1596年秀吉のキリシタン禁止令によりキリスト信徒24名が捕縛され、長崎で処刑されることになりました。(途中、2名が加わり26名の殉教者となった。)京都では左の耳たぶを削がれた殉教者たちは、船で博多から唐津向い、唐津では木屋の北入口から上陸したそうです。
この殉教者たちは材木小屋で一泊したといわれていますが、実は利右衛門は粗末な小屋ではなく密かに魚屋町にある店舗に泊め、厚遇したそうです。利右衛門の権力者への反骨精神に心打たれます。唐津に上陸した場所には現在、記念碑が建っています。(下図参照)
東の木屋のお雛様を見る前に、この場所に立ち寄ることをお勧めします。遥か昔の利右衛門の時代に想いを巡らし、東の木屋でお雛様を鑑賞するとさらに感慨深いものになるではないでしょうか。
この雛人形は、「唐津神祭行列図」を書かせた8代木屋小兵衛均安蔵六の長女山内かね(1858)のお雛様です。かねさんが本家の西の木屋から東の木屋に嫁入りする時持って来たそうです。京都御所の紫宸殿を模したといわれ、幅約1.8メートル、高さ約1.3mもある大変見ごたえのある御殿雛です。
あらためて、唐津の凄さを再認識しました。
【記事の修正】
①木屋の呼び方を「きのや」と書いていましが「きや」が正しいとのことです。
②26聖人があたかも御殿雛の飾られている建物(ギャラリー)に宿泊したかのような記事になっていましたが、これは間違いであり、26聖人が宿泊した場所は西の木屋で、この場所ではありません。当方の文献の読み違いにより、読者並びに関係者の方に多大なご迷惑をおかけしたことをお詫びいたします。(2月28日 午前2時修正)
【資料】
西の木屋の歴史(吉冨 寛)
http://www.geocities.jp/tamatorijisi/nisinokiya.htm
唐津神祭図襖絵(吉冨 寛)
http://www.geocities.jp/tamatorijisi/husumae.htm
旧家の由緒 肥前国唐津魚屋町 木屋利右衛門(奥村武)
http://tamatorijisi.web.fc2.com/kiyariemon.html