幡随院長兵衛誕生の碑

あわ美くん

2012年01月12日 00:09



203号線を唐津から佐賀に向かって下ると、松浦川を横切る手前に右折する道路がある(JR伊万里線と並行)このあたりの地名を久保といい、この地区にこの碑はあります。

幡随院長兵衛は、徳川幕府が開かれてまもない頃、江戸で町奴(侠客)として名を成し、男の意地と面目を通した死に際の潔さで江戸の華と謳われ、歌舞伎や講談の題材に取り上げられてた人物です。





私もこの史跡は2回目の訪問なので、この程度しか知らなくて、ましてや今の若い人にとっては誰、その人?といわれるのがオチだと思います。

分かりやすく言うと、弱きを助け、強きをくじき、仲間を決して裏切らない男の中の男として、超有名な一昔前のヒーローだったということです。

当時、仲の悪かった旗本奴と町奴の結果の喧嘩の結果、長兵衛は旗本の水野十郎左衛門に浴場で斬殺されたとのことです。が・・・・・アロマ男の取り合いで喧嘩になったとか、吉原に遊びに行くのをからかって喧嘩になったとかいう話もあります。

要は、佐用姫伝説と同じく、あとで脚色されたともいえます。真実はどうだったのか・・・・歌舞伎や講談でのストーリーは少なからず脚色されていると思っていいでしょう。まあ、そんなことを疑っても詮なきことかもしれませんが・・・・・・



それにしても、平成17年の福岡西方沖地震でも、この石碑は倒れなかったというのは驚きですね。